【あちらにいる鬼・井上荒野】
不倫って聞くとどんなイメージが浮かぶだろうか?
私は「絶対にあってはならんことだっ!」と、若い頃はただただ強烈に毛嫌いしていたが、大人になって段々とその見方が変わってきた。
もちろんダメなことに変わりはないし、自分がしたいかと言われたら、できるなら一生無縁で終われたらそれが一番良い。
でも、きっと道徳的な良し悪しだけでは語りきれない何かが、そこには流れていることもある・・・のだと思う。
瀬戸内寂聴さんをご存知だろうか。
99歳まで生きた日本を代表する女性の僧侶だ。
頭を丸坊主にし、いつもニコニコ朗らかな微笑みを浮かべるその姿は、まるで日本のお母さんみたいで、優しい女性のイメージそのものだ。
が、実は彼女。
出家する前はめちゃめちゃ恋多き女で、一回や二回の不倫では収まりきらないほどの自由奔放な生活を送っていた。
そして小説家でもあった彼女は、その自らが体験した不倫のあれこれを作品の中に何の躊躇いもなく描き、その一つ一つが当時から話題を呼んでいたという。【あちらにいる鬼・井上荒野】
これは、そんな出家する前の瀬戸内寂聴に、実際に自分の父親を取られてしまった・・・
という言い方は違うか。愛されてしまった・・・と言った方がちょっとは近いのかもしれない。
そう。自分の父親を、ものすごい深い愛情でもって、愛されてしまった側の
つまり不倫された側の家族の、実の娘さんが描いた小説である。
そしてその帯には、なんと瀬戸内寂聴さん本人の言葉が添えられている。
「作者の父、井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は5歳だった――瀬戸内寂聴」
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この小説は、2人の女性の心情が交互に描かれてたまま進んでゆく。
不倫をしている側のみはる(瀬戸内寂聴)と、不倫をされている側の妻・笙子(しょうこ)の二人が
お互いの気配を感じながらも、けしてその核心には触れることなく月日が流れる。
ただ、すごいのは、相手から何としてでもこの男を奪ってやろうだとか、お前よりも私の方が愛されている的な、心のマウント合戦みたいなものはなく
二人ともただ、どうしようもなく一人の男を愛してしまったという事実だけがそこに転がっている。
どうしようもなく魅力的な人。
ときにずるく、ときにびっくりするほど間抜けで
ただ人が数人でも彼の前に集まったのなら、その場の空気を全てもっていってしまうような何かを持っていて。。。
時が流れるにつれて二人の女性は、ともに同じ男を深く愛し抜いたもの同士として
妙な親近感が湧いてくる。これ、あの人だったらわかるだろうか・・・そんな気持ち。
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すごいな、と思う。
女であることや、妻であること、人間であること。
そんなものはただの分類でしかなくて、それより何より、いま目の前にいる、このどうしようもなく魅力的な人を、どんな形であれ自分の人生に置いておきたい。
そんなふうに誰かを想ったこと、私にはない。薄っぺらい人生だなぁと思う。
瀬戸内寂聴さんは、弟子の女性に向けてよく言ったそうだ。
「人生とは恋と革命だ」「100冊の本を読むよりひとつでも本気の恋愛をしなさい」
本気の恋愛・・・って何なんだろうか?わからないまま30歳になってしまった。
何が本気で、何が本気じゃないのか、全くもってわからない。
でも、自分の心が動いた瞬間だけは敏感でありたいと思う。
社会的にどうだとか、何大学で何を学んできたとか、男とか女とかそんなものより「何かいいな」を大事にしたい。
あちらにいる鬼・・・あちらはいったいどっちから見たあちらなのだろう?