最近、街を歩いていると、可愛い人が多いなぁーと思う。
つやつやの髪に、くりくりのおめめ。透き通るような白い肌は、めためた美しく
すれ違う人たちの視線はふわ~と吸い寄せられるかのように彼女達の肌へと着地する。
さらに、お洒落な人も増えたなぁ~とも思う。
いわゆる一般的なカワイイからポンと抜け出して、一歩飛びこえた先の注目を集めるものたち。
髪や服は、一番わかりやすく自分の存在を表現できるから面白い。
私も20代の頃は、よくお金を落としたものだ。
でも、彼女達は知っている。
その若さゆえの美しさは、じつは期限つきであることを。
カチカチカチカチ。秒針は、今日も動く。
カチカチカチカチ・・・規則的に、でも確実に・・・その時は迫っている。
いつ?いつまで私の価値は続くの?
若さや美しさの価値がなくなったら、私には何が残るの・・・?
女というのは、ほんとに切ない生き物だよなぁ・・・。と、最近私はよく思う。
たぶんそれは自分が30代に突入し、昔よりも、もっとリアルにいろんなことを体感するからだ。
そんな女の、女にしかわからない、女独特の痛みやもろさを
ものすごく酷に描き切った作品が、あの映画化されて有名になった岡崎京子さんのヘルタースケルターだ。
(映画もいいけど、漫画の方が本質的かもですっ。一冊完結もの。)
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“あたしはもうすぐ使いものにならなくなる。もっと長くもつかと思ってたけど・・・意外と早かったなぁ。あたしが売り物にならなくなったら?ママは?あたしを捨てるでしょう。ママだけじゃないわ。みんな今ちやほやする人たちだって離れてゆくわ(ヘルタースケルターp42より引用)”
手も、足も、顔も・・・自分の体のほとんどを、整形手術によって作り変えてしまった主人公のりりこは、もがいていた。
職業はモデル。誰もが憧れるような、華の芸能界。
「リリこ可愛いー!」「リリこみたいになりたいー!」「リリこ完璧ー!」
美も、富も、名声も。
この世の全てをゲットしたかのように見える彼女だったが、その心の中は、いつも穏やかではなかった。
なぜなら、整形によって、かなり無理させている体が、定期的に悲鳴をあげるからだ。
ちょっとメンテナンスを怠ると、すぐに現れる大きめのあざ。それを見るたびに、彼女は地面を震わすほどの怒号をあげ、泣き叫んだ。
頑張って、頑張って、隠して、隠して、、、
しがみついて、蹴落として、初めて手にする、たったひと時の安心感。
その安心感をくれる相手すら、ちょっと気を抜くとすぐ自分より若くて可愛い女に持っていかれそうになる。
どうして?どうしてなの?どうしてそんなに私よりあの子が良いの?
そんなすがりつくような彼女の姿を見て、後輩モデルの女の子は一人こう吐き捨てる。
「人間なんて皮一枚剥げば血と肉の塊なのに、くだらない。」
ただ、その言葉は、彼女が現在14歳という若さの真っ只中に立っていることや
生まれながらにして誰もが憧れるような美しさを持っている、という土台あってのものなのだ。
(ヘルタースケルター漫画より引用)
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これだけ読むと、ものすごく暗~い気持ちになってしまう人もいるかもしれない。
でも、私はだからこそ、それが現実の一面であるからこそどうするか、どう生きるかを
「女として考えておくことのきっかけをくれる」のがこの作品だと思っている。
1年くらい前。
早朝のコンビニで、雑誌を立ち読みしていたら、樹木希林さんの面白いエピソードを見つけた。
樹木希林さんは、たまに自分の娘のように可愛がっている女優の浅田みよこさんに、なんの前触れもなく、いきなり電話をかけるらしいのだ。
「今テレビある?〇〇チャンネルつけてみて。」
そういって電話越しによくテレビをつけさせた。
そして浅田さんが「つけましたよ」というと。
「・・・はぁ、見てよ。この女優も整形しちゃった。ほら・・鼻が違うでしょ?すごく良い女優だったのにもったいない。老けたら老けたで、そうゆう芝居ができるチャンスなのに・・・」
そして「あなたはダメよ、絶対。」と言って、いつも電話をきったらしい。
本当に良い歳の取り方だな・・・と思う。
造形美を上回る「演技」というものの魅力と出会い、それを追求し続けることに人生を捧げた人の言葉。
きっとそれは樹木さんの場合が「演技」だっただけで、人によってその部分は100人いたら100人ともに皆が違う。
ただ、そこを突き詰める前に、一番てっとり早くお金を出しさえすればすむ「見た目を整える」という事で、わかりやすく価値を底上げしようとする。
でもそれって、どうしたって限界があるんだ。
だって若さや美しさだけが価値だったら、平均80年ある人生の後半。
いったいどんな心持ちで生きてったら良いんだい。笑
そんなの楽しくないんじゃんさo(`ω´ )o
やはり人間、ある程度年齢を重ねたら、あとはもう中身なんだと思う。
そしてその「中身」というのは、けして耳に気持ちいい「良い人風」の言葉を流し込むとかではなく
知るということ。見るということ。あらゆることを。
そしてそれが綺麗であっても汚くあっても、自分で考えて、感じて、必要なものを吸収していく。
そしてそれを追求していった先に、結果として、人間も磨かれるということに繋がっていく・・・のだと思う。
大丈夫。女の子はいつまでだってきっと可愛い。
でもそれは可愛くいさせてあげるための、心の化粧水を、いくつになってもピタピタとお肌になじませ続けてあげられる者だけに限るのだっ。
“いやですわ。なぜ神はまず若さと美しさを最初に与え、そしてそれを奪うのでしょう?”
“まず若さと美しさは同義じゃないよ、若さは美しいけれども美しさは若さではないよ。美はもっとあらゆるものを豊かに含んでいるんだ”
(ヘルタースケルター漫画. p177より)