【死にたくなったら電話して/李龍徳(い・よんどく)】
どう考えても良くない影響しか与えてこない相手に、思わず飲み込まれてしまったことってあるだろうか?
周りがなんと言おうとその人のことしか見えなくて。
その人の言う事だけがこの世の全てのように思えて。
他のこと全てがどうでもよくなってしまうほどにズブズブと飲み込まれてしまったこと。
私は、ある。
し、私の周りのけっこう深いところまで仲良くなれた人は、なぜだか皆わりとある。
人は不思議なもので、必ずしも美しいものや楽しいものを運んでくれる人だけに心惹かれるとは限らない。
時には一緒に心の闇にドップリ浸かれる人を求めることだってある。
闇独特の安心感と優越感。
まるで自分とその人だけが周りとは別世界の中を泳いでいて、そこだけにこの世の唯一の真実が流れているかのような心地よさ。
“私はですね、そこに人間の悪意を全て陳列したいんです(p57)”
そう言って初美が顔を向けたのは、自分の部屋の自分の本棚だった。
“少年の腹をかっさばいて腸を取り出して、そこを目がけてみんなでマスターベーション大会とかしたそうです(p69)”
そのあまりにも気持ち悪くグロテスクなエピソードは、歴史上で実際に起こった事件なのだと彼女は言う。
なぜだか彼女はそう言った事件についてやたら詳しかった。
・・・気持ち悪い女。
最初はそう思っていた。そう思っていた・・・はずなのに・・・
李龍徳(い・よんどく)さんの「死にたくなったら電話して」という作品は
やばいやばいこれ本当に大丈夫か?と思いながらもなぜだか気づくと次のページをめくっている。
「救いようのない物語」というものもエンターテイメントとして楽しめるよ~という方であれば間違いなくおすすめの作品なのだが
ちょっと持ってかれてまうタイプだわ・・・って人はやめておいた方がいいかもしれない。
それくらい危険な作品なのである。
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ははっ、ひゃは、ははははははっはは
初対面であんなに人に笑われたのは初めてだった。
「絶対に見といた方がいい」「淀川区でいちばんの美人がおる」
そう友達に言われて連れて来られたキャバクラで、徳山は今までにない感覚を味わうことになった。
「ミミちゃーんっ!」
そう呼ばれて店の奥から出てきたその女は、徳山と目が合うなりいきなり笑い出した。
ははっ、ひゃは、ははははははっはは
いつまで経っても終わらないその笑い声は、聞いていると不気味で腹も立った。
しかしまあ彼女は、噂通りとても綺麗な顔立ちをしていた。
でもそんなものは全て凌駕してしまうほどの何とも言えない薄気味悪さも持ち合わせている。
「どうしてあんなに笑ったの?」
後になって彼女に聞くと「いや、正直、説明が難しいんですけど・・・」「なんか、私たち似てるなあって直感でわかって」と言った。
「何それ、ルックス的に?」
「違います、もっと内面的に」
「内面的にって・・・何が?」
「具体的に知らなくても感じ取れることってあります。そのうちわかります。私たち、すごくよく似てます。」
彼女の言葉には、なにか圧倒的な力があった。
本当にそうなんじゃないかと思わせる確信めいた響きのようなものである。
そしてそのまま引っ張られるようにして、気づくと徳山は彼女の世界にズブズブ嵌まっていく。
“ここでの初美という存在は、性的で誘惑的な女性のように描かれているが、徳山はそこに溺れているのではない”
“徳山を組み替えているのは、初美の語る、あるいは読み上げる言葉だ”(p.274あとがきから引用)”
彼女の言葉はとにかく救いようがない。
救いようがないのだけれど、そこにはこの世の真理がある。
だから何ぜだかみんな聞き入ってしまう、そして気づくと生きる気力のようなものも自然と根こそぎ吸い取られていて・・・
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「救いようのないが話が好き」という話をすると、一歩引いてしまう人がいる。
怪訝そうな顔をして「読んでて暗くなりませんか?」と言われると、こっちも「あっ・・えっ・・それはそうなんですけど・・・」とアタフタしてしまう。
でも逆に「救いようのない話が好き」という話から、ググッと近づく人もいる。
「実は私もそうゆう方が好きで・・・」とか言われると、なんだかその人の普段は見せていない特別な部分を一個こちらに差し出してくれたような気がしてすごく嬉しくなってしまう。
あ、マジか!この人、そっちもいける人なんだ。と思うと、そっからの話の内容が一気に濃くなる。
この “ 濃さ ”みたいなものこそが、面白さだと個人的には思っているのだが・・・みなさんはどうだろうか?