8年ほど前。大学の授業で教授が不思議なことを口にした。
「最近、仲良すぎる夫婦が増えてて、子どもがグレてるんですよ。」
・・・。
・・・・・ん?
一瞬考えたが意味がわからなくて、思わず授業を止めてまで聞き返した。
「えっと・・・すいません。仲が悪くてグレるんじゃなくて、仲が良すぎてグレるんですか?」
「そうです。だって親が仲よすぎると、子どもが中心じゃなくなっちゃうでしょう?」
・・・・・・!
なんだそれ、聞いたことないタイプの家庭崩壊スタイルなんだが!
当時大学生だった私は、教授のその話にひどく衝撃を受けた。
ようはいつまで経ってもお父さんとお母さんではなく、男と女であるということ。
そうするといくら夫婦で仲良くても、敏感な子供はどこかで違和感を覚えるらしい。
この二人はもしも自分に何かが起きた時、本当に守ってくれるだろうか?
自分のことよりもお互いの存在の方が大事なんじゃないだろうか?
そんなことを本能でもって嗅ぎつけてしまうのだ。
すごいな子供って。ほんとに生き物としての感性がするどすぎる∑(゚Д゚ノ)ノ
そう。
この世界では、誰もが子どもの頃「本当はこうしてもらいたかった」という小さな違和感を心のどこかにぶら下げたまま歩いている。
それはきっと特別に複雑な家庭じゃなくても、多かれ少なかれきっと誰もが持っているものなんじゃないかと私は思う。
森下裕美さんの【大阪ハムレットⅠ】の中の一つ「恋愛」という話には
そんな子供の頃の満たされなかった父親への想いを、どうしても恋人に求めてしまう女性が出てくる。
「・・・マー君には私の・・・お父ちゃんになってもらいたいねん!」
道の側溝に落ちそうになったところを「お姉さん危ないよー」と救ってくれたのをきっかけに、23歳の彼女は8歳も年下の中学3年生の男の子、マー君と交際を始める。
(マー君は自分が中学生だということを嘘つき、大学生のふりをして付き合い始める。)
最初はただの年上のキレイなお姉さんと年下のしっかりした男の子だった二人だが、交際が続くうちに彼女にある変化がおきる。
「あーたん、ジュース!(飲まして)」
「あーたん、だっこ!」
とても成人した女性とは思えないような赤ちゃん言葉になっていくのだ。
マー君はそんな彼女の様子に戸惑いながらも、何とかその要求に応えようと、お父さんみたいな役割をするようになっていく・・・。
もしも・・・現実にこんな二人がいたら、正直ちょっと「うわ・・・」という気持ち悪さを感じてしまうのではないだろうか?
だが、この大阪ハムレットのすごいところは、その気持ち悪さみたいなものを、いっさいこちらに感じさせることなく
「どうしてそうなってしまったのか」という、人間の心の道のりを、笑いと真理を交えつつ、それとなくこちらに伝えてくれるところにある。
そして、そこにはなぜか常に暖かいものが流れていて、起きていることはわりとシリアスなのに、なぜだか心が暗くならない。
医学的な心理用語みたいなのでいうと、エディプス・コンプレックス(男の子が母親に対して感じるもの)や
エクストラコンプレックス(女の子が父親に対して感じるもの)を取り上げているが、他の短編では、また別のものについて描かれている。
連れ子だったり・・・LGBTだったり・・・不妊治療だったり・・・。
単語にしてしまうと何だか「あーはいはい。知ってるー。」と読まずとも分かったような気持ちになってしまうが
きっとそこに隠された人間の心の色は、私らがおもう想像より、もう一段階 深い色をしている。
寂しい者や、切ない者が、お互いに助け合ったり、時には勇気を出して踏み出したり・・・全部で6つのお話は、そのどれもが見終わった後に心をポカポカさせてくれる。
人はみんなどこか寂しくて、そして温かい。