「僕はうんこを踏んだ時にきちんと悲しめる人間でありたいんですよ。」
この言葉がイヤホンから流れてきた時、私は渋谷のニトリのエスカレーターで死ぬほど笑ったあと、大きく何度もうなずいた。
彼は続けた。
「これがもしうんこじゃなくて、トラの尻尾だったら命が危なかったかもしれない。そう思うと、うんこでよかった。私はなんて恵まれているんだろう。こんなことで済んでよかった(^ ^)」
「・・・みたいな。そんなふうに思いたくないんですよ、僕は。うんこはどこまで行ってもうんこなんですよ。臭いし、汚いし、不快なんですよ。僕はそこに対してしっかり腹を立てられるような人間でありたいんですよ。」
そんなようなニュアンスをダークな笑いで語るのは、私の唯一好きなYouTuber、黒髪ピピピさんだった。
本当にそうだな、、、と思う。
人は何かどうにもならない寂しさを覚えると、自己啓発だとかスピリチュアルだとか。そういった方面にすがりたくなる時期というのがある。
それ自体は決して悪いことではない。し、どっちかといえば私も好きだ。・・・でも、行き過ぎるとそこには妙な違和感が漂う。
毎日笑顔で過ごすのは大事だし、何かちょっと嫌なことがあっても前向きに捉えるのももちろん大事だ。
でも、きっとそれと同じくらい・・・
何かに大きく腹を立てたり、バカみたいに落ち込んでヒステリックに泣き喚くことだって大事なことなのだと思う。
ヴィンランド・サガの第6巻に出てくるとんでもない名言がある。「愛とは、差別です。」
舞台はヨーロッパ。
これは、刀をぶん回して領地を奪い合うような、まぁざっくりというと寒い地域の戦争の話なのだけれど。
自分のことを子供の頃から愛して、命をかけて守ってくれた育ての父のような存在を
争いであっけなく亡くしてしまった王子が、冬の大空を見上げながらポツリとつぶやくシーンがある。
「もうこの地上に、私を愛してくれる者はいなくなった。」
すると、そのそばで酒を飲んでいた、名も無き兵士が問う。
「それは大いなる悟りです。だが惜しい。彼(育ての父)のあなたへの想いは、本当に愛と呼べますか?彼はあなたの安全のために、62人の善良な村人を見殺しにしたんですよ?」
それに対して王子は問い返す。
「ならば問うのは私の方だ。彼が私を大切に想って育ててくれた気持ちはいったい何だったんだ?」
「差別です。彼にとってあなたは他の誰よりも大切な人だったのです。おそらく彼自身の命よりも。もう一度言います。彼はあなた一人の安全のために、62人の村人を見殺しにした。それは差別です。」
鳥肌がたった。
そう。誰かを愛すると言うことは、誰かを周りよりもエコひいきすると言うこと。
そしてそれは時として、人の命をも奪う正当な理由にすらなってしまう。
大袈裟かもしれないけど、この世はそうゆうものなのかもしれない。基本的にエコ贔屓でできている。
「みんなに優しく」は、できるできないの話じゃなくて、そもそも存在しないのかもしれない。
でも、だからこそ思う。じゃぁ、誰を大切にするか。したいか。何を大切にするか。したいか。
それだけはきっと誰もが与えられた、自分で決められる自由なんじゃないだろうか。
どうせなら自分の人生、がんがんエコ贔屓しまくって、自分が楽しく過ごせる人を周りに置いて、思う存分大切にしても良いのかもしれない。