【女のいない男たち/木野:村上春樹】
口から何かを食べたら、お尻から必ずうんこが出るように、もしも何かに傷ついたのなら、必ずどこかでその膿は出さなくちゃならない。
心にも口があってお尻の穴がある。食べたはずの傷をなかったことにはできない。
何かの方法でもって出さないもんなら、それはずっと心の胃袋で、ぐるぐるぐるぐると練り動き、やがて発酵し、一つ一つの毛穴からとんでもない異臭を放つ。
「・・くっ・・・さ (゚Д゚ )・・・あ、ごめん何でもない大丈夫。」
・・・(゚Д゚ ) ← 誰かにこんな顔でごめん何でもない。と言われる前に、心のトイレ掃除をしておきたいものです。
でも、だ。
なぜだか人は、大人になると明らかに食べたはずの傷を「・・・私ですか?そんなもの食べましたっけ?」的な
政治家で言うところの記憶にございませんスタイルで、どれだけでかい鉄球を脳天に食らっていようと、ひょうひょうと涼しい顔で駆け抜けようとする強者がでてくる。
村上春樹の「女のいない男たち」という小説に出てくる「木野」と言うお話には
まさにそんな、本当は大きく傷ついたはずの心を、生きるために封じ込めてしまった男が出てくる。
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ある日、木野は、思いもよらぬ出来事により、17年勤め上げた会社をやめる。
その日はいつものように地方に出張に行っていたのだが、たまたま仕事がスムーズに進んだ木野は、一日早く、妻が待つ我が家へと戻ったのだった。
なんの気なしに寝室の扉を開くと、思いも寄らぬ光景が目の前に飛び込んできた。
会社で一番親しくしていた同僚の男が、妻と裸で抱き合っているではないか。
木野は、思わずことのまっ最中の妻とガッツリ目を合わすと、そのまま扉をスッと閉め、一週間分の服をかばんにつめこみ、二度とそこへは戻らなかった。
そして翌日、会社に退職届けをだした。
物語はそうして木野が、妻の浮気をきっかけに会社をやめるところから始まる。
そしてその後、退職金で、木野は小さなBARを始めるのだが
BARを初めてからもずっと、別れた妻や、寝とった同僚に対して、不思議なくらい怒りや恨みの気持ちが湧いてこなかった・・・
“もちろん最初のうちは強い衝撃を受けたし、うまくものが考えられないような状態がしばらく続いたが、やがて「これもまあ仕方のないことだろう」と思うようになった・・・”
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「これもまあ仕方のないことだろう」
私も木野と同じように、自分ではどうにもならないことが起きた時、この言葉で何とか自分を傷つけないように、偽りの納得をさせることがよくある。
どう考えたって無理なのに「ね?わかったよね?ダメなものはダメなの。」と、まるで5歳児にでも言い聞かすかのように。
「あんたは大丈夫。物分かりの良い子だから。ね、ほらもう大丈夫^ ^」と。
けして傷つくことを許さない、悪魔の微笑みババアの発動。
まぁ擦り傷くらいだったらいい。
でもさ、たとえばトラックのタイヤに足が巻き込まれて、脛から骨が飛び出してるのに
「痛いの痛いの~飛んでけ(*^ω^*)」とか言い出したら、いくら母親でもぶんなぐるじゃんか、救急車呼べよって。
そうゆうことだと思う。笑
傷つくということ。ちゃんと、傷つくということ。
「女のいない男たち」には、そのタイトル通り、そんなふうに色んな理由で自分のもとから女がいなくなってしまった男たちの物語が、木野以外にも全部で6つ描かれている。
その中でも一番有名なのは、映画化もされて話題にもなっている最初のお話
「ドライブ・マイ・カー」だけど。他のもすごく良かったよー!と、ここで静かに叫んでおく。
私は、村上春樹さんの小説自体が実は初めてだったのだが、最初の一冊がこれで良かったと思っている。
もうすでにその魅力を知っている人も、知らない人も。是非とも。