【トリップ・角田光代】
こんなはずじゃなかった・・・。
昔、思い描いたはずの将来の自分は、何というかもっと少なくとも今よりは全然マシで。
いや、マシどころかもっと。もっともっと輝いている予定だった。
なのに・・・なんで?いつから、どこで、何を間違えたんだ?
人はきっと種類は違えど、何かしらの「こんなはずじゃなかった」を抱えて生きている。
「後悔したってしょうがない。どんなに悔やんだって、過去は変えられないんだから。」
そんな言葉しか、口から出てこないようなポジティブマシーンみたいな人間だって
深夜に湯船にポチャンとつかりながら「本当にこれで良かったのかな」と思うことくらいはあるだろう。
角田光代さんのトリップという小説(短編集)には、そんなふうに
普通に生きているように見えて、実は「こんなはずじゃなかった」を、胸のうちに秘めている人々を、10個の物語にのせて、物凄いはばひろい年齢層でもって描いている。
大人も、子供も、お姉さんも、おっさんも。人間はみな、思い通りになんか 歩けていない。
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トリップの中の「ビジョン」という物語の主人公は
もうすぐで40歳になろうとしている主婦だ。夫のやっている商店街のコロッケ屋さんを手伝っている。
“夏が終わったら40歳になる。驚いてしまう。20歳くらいの頃、自分が40になるなんて思いもしなかった。”
こじんまりとしたコロッケ屋さんの店先で、たんたんと仕事をこなしながら、彼女はぼんやりとそんなことを思う。
若いカップルの客が自分のことを
「こえーな、あのおばはん。」「人生に疲れ切ってんだよ。我慢してあげよーよ。」とコソコソ陰口を言っているのを感じとり
こいつらは自分達もいつか40歳になるなんて思ってもないんだろうな。とか思ったりする。
彼女は若い頃、結婚したくてしたくてたまらなかった。
結婚しないと何も始まらないし、とにかく結婚だけが自分の人生を大きく変えてくれると、違う世界へ連れて行ってくれると、そう信じていた。
でも、実際してみると、どうだろうか。思ってたよりずっと地味な暮らしではないか。
当たり前にできると思っていた子宝にも恵まれず、気づくとただ毎日、ボーッと突っ立っているだけのコロッケおばはんと化していた。
そして、ふと、どうゆう流れで今この状態に辿り着いたのかと、過去に思いを巡らせる。
本当にこれでよかったのかな?何かもっと・・・できたのかな。
(角田光代・トリップ〔ビジョン〕より引用)
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後悔というのは果たして本当に意味のないものだろうか?私はなぜだか昔から、後悔のない人間には、興味が持てない。
人は間違う。
仕事も、恋愛も、住むまちも、子どもの有無も。
それが合ってたのか、間違ってたのかなんてのは、そうなってみないとわからない。
そしてさらに実は奥深いのは、人生は「選ばなかったということも選んだということになる」ということだ。
何かをやらなかったということは、やらないということを選んだということになる。そのわかりずらい一個一個が、つみ重なって今がある。
この小説のタイトルにもなっている「トリップ」という話にものすごくいい一文が出てくる。
“何一つ選べずにここに来たのではなく、選んできたのだと、それがよいものでも、そうでないものでも、それを選んできたのだと、いつか言える時がくるんだろうか(p51より引用)”
これを読んだ時、私は思わず本を横に置いて、ちょっとだけまぶたをパチパチさせてしまった。
そう、選んできたんだ。
それが良かったのか悪かったのかは別として、あれも、これも、実は一つ一つ選んできた。
私も、あなたも、みんな。選んで、今ここにいる。
もちろん、思い通りにはならなかったけど。笑
でも、だからこそ思う。
どうせ思い通りになんかならないから、もっと気軽に生きていいし、決めて良い。
ハードルの高い前向きな言葉より、「自分だけじゃないよな」と思わせてくれるもの。そうゆう人間の影の部分への共鳴でもって、前向きになれることもある。
トリップは、そんな平凡に見えて実はみんなが抱えている「こんなはずじゃなかった」という影にこそ、光を当てている。
誰かの影は、誰かにとっては光になるのだ。