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〜 本・マンガ紹介 〜

「それであってるよ」がないと不安になる

【あのひとは蜘蛛を潰せない・彩瀬まる】

 

「大丈夫、それであってるよ。」

そう、誰かに言ってもらえるとホッとする。

 

将来の選択、片思いの相手への返信、仕事への向き合い方、、、。

 

その全てにおいて、本当は誰に相談したところで、最終的には自分で決めている。

 

はずなのに・・・

 

人はどうしても、誰かの「大丈夫だよ、それで。」がないと、不安になってしまうことがある。

 

もしも今、目の前に座っている相手が、自分のことをまだ深くまで理解していないとしたら

 

いきなり「で、どう思う?」と突込まれても

 

なんとなく良い人ふうの言葉を「・・・と、思いますけど、どうなんですかね~」と当たり障りなく返すことくらいしかできない。

 

そして、わからなくなるんだ。

本当は・・・私・・・どう思ってんだ?

 

 

そんな感覚が一時的ではなく、自分の根本にがっしりと張り巡らされている主人公が出てくるのが

 

赤瀬まるさんの「あのひとは蜘蛛を潰せない」である。

 

“ 笑われると、心細い。けど同時に、うらやましくなる。誰かを「間違ってる」と断言できる人が、心のそこから羨ましい (p.77より引用)”

 

何かを、好きとか、嫌いとか。

間違ってるとかって言い切るのは、実はけっこう勇気がいる。

 

いつから自分は、世の中にとっての正解っぽいことしか口にできなくなってしまったのだろう・・・?

 

わたしの中の「本当」はどこ?

 

 

********

 

28歳。独身。女。

仕事は、ドラックストアの店長。

 

スタッフには「意見を汲んでくれる優しい店長」と言ってもらえている。

 

でも、本当はちがう。

 

「これ、どうですかね、、、?」と確認しないと、誰かを怒らせてしまいそうで怖くて聞いているだけだ。

 

気さくな店長のふりをしながら、ビクビクと世間の正解をうかがう。

 

誰でもできる単純作業はできても、オリジナリティが求められるような売り場作りは苦手だ。

 

ハハッ。

8歳年下のアルバイトの男の子、三葉くんが笑った。

 

ドキッ・・・とする。

彼の笑い方には、どこか人を笑う冷たさが染み付いている。

 

毎日のように、バファリンを大量に買っていく女性客を「ありがとうございました~。」と見送った後に三葉くんはつぶやいた。

 

「あのお姉さんめちゃくちゃ美人でしたね~」

「でも、ビョーキだ。」

 

ビョーキ。

 

その声の響きは、たまに休憩室で「キモい」を連発する美香ちゃんのあの声と似ている。

 

でも、容赦のなさは三葉くんの方が数段上だ。

 

なんだか怖い。

この子は、たとえば私が実家に住んでいることや、母に口答えできないことを知ったら

 

今放った「ビョーキ」と、同じように「よわっちぃ」とあざ笑うのだろうか・・・?

 


「俺、けっこう言うんですよ。人に『きらい』とか『それ違う』とか。」

 

「言いそうだね。」

 

「うん。子供の頃からそうゆうの抵抗なくて。生まれ持ったもんなんで仕方がないんだと思います。」

 

「仕方がなくても、羨ましいよ。誰かにはっきり嫌いって言えるってすごいことだよ。」

 

「むしろ、どうして店長は言えないんですか?」

 

「・・・だって私が嫌いって感じても、本当はその人の方が正しいことを言ってるかもしれないし。私が何か、わかってないことがあるのかもしれない。そう思うと、怖くなる。」

 

「本当はって、なに」

 

そう言って笑う三葉くんの顔は、やっぱり彼のもつどの顔よりも意地が悪くて、ひやりとして、魅力的だった。

 

(あの人は蜘蛛を潰せないより引用)

 

********

 

似てるな。と思った。

 

主人公の一部が、自分と重なる。

 

 

でも不思議だなぁ~と思うのは、この本に出てくる主人公の女性は

 

ちょっと過干渉すぎる母親に「こうなってほしい」と言う期待と「こうなったら終わりだ」と言う、無言の圧力をかけられて育ってきたという背景がある。

 

親の思う「世間体」を決して壊さないよう、まっすぐ守り、それが正しいんだと信じ続けてきたが故に

 

自分の気持ちや意見に対し、いつも自信が持てなくなってしまう。

 

では、自分の場合はどうか。(すまぬ、私ごとを)

 

親からヒステリックな重たい期待をかけられたこともなければ、かと言って凄まじいほどのネグレクトを受けたわけでもない。

 

家庭の問題も、それなりに悩んだこともあったが、そこまで壮絶なものかと言われたら、おそらく一般的なお悩みサイズに収まるものばかりだ。

 

でも、主人公の気持ちが、わかる、し、似てる。

 

ここがなんとも言えない、人間というものの不思議である。

 

何かを見たり読んだりして「あ、わかる」と、本能からの反応が飛び出す瞬間というのは、必ずしも同じような経験が過去にあるわけでもない。

 

 

 

「育ってきた家庭環境」なんてのは、結局のところそこまで関係ないのではないだろうか・・・。

 

というのが、私の行き着いた考えの一つである。

 

もちろんある程度はある。

 

でも、血液型と同じように、家庭環境型に当てはめて、人を判断するというのは、なんだかちょっと寂しくて、わりと失礼なことだ。

 

あくまでも人は「その人型」でしかない。

 

人はみんな今日に至るまで、親以外の物からも、たくさんの影響を受けている。

 

そしてその全てが、今この瞬間、その人を作る。

 

でもひとつ思うのは、こうやって一冊の本や、誰か新しい人に出会った時。

 

そこに出てくる登場人物や、誰かの話やエピソードというものに、自分の何かが、思わず反応してしまった時。

 

そうゆうものに「敏感であり続けること」というのは、すごく大事な気がする。

 

あってるか、間違ってるか、本当か、そうじゃないか。

そんなものは、どうだっていい。

 

そのまま。を、とりあえず見てみる。

そして、心の片隅にそっと置いておく。

 

自分のそのままを知っている人の言う「大丈夫、それで、あってるよ」ほど、心を前向きに溶かしてくれるものはない。

 

自分にとって本当に大切な人が、マジで困っている時に、そんな態度でいてあげることができたら・・良いな〜とか思ったりする。